1.野古墳群(第一部・野古墳群南部)
  岐阜県揖斐郡大野町野

揖斐郡大野町野にある野古墳群は、現在でも旧状を比較的よく残しています。
 この地は僅か400m四方程の狭い範囲に前方後円墳・円墳が20基ほど存在していたと考えられています。古墳の大きさは大きいものでも80m前後で、特に大型のものではありません。しかし、平野部にこれだけまとまるものは埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」にある限りで殆ど見られません。
かつては27基以上の古墳があったということですが、現存するのは1号〜12号の12基だけです。2号〜6号が方後円墳1号と7号〜12号が円墳です。(但し、1号と7号は前方後円墳が削り取られて円墳になったという可能性もあるそうです)
  このうち
16号には名称が付いています。

1.   モタレ古墳   円墳。前方部が削られたような痕跡があり、前方後円墳の説がある。

2.   不動塚古墳   前方後円墳。

3.   南屋敷西古墳  前方後円墳。

4.   登越古墳    野古墳群最大の前方後円墳。
    全長
83m、後円部径52m、後円部高さ7.3m、前方部長42m、前方部高さ5.8m

5.   南出口古墳   前方後円墳

6.   乾屋敷古墳   前方後円墳



1.南出口(城塚)古墳=前方後円墳 全長82m






南出口(城塚)古墳=前方後円墳 全長82m



野古墳群の一番南に位置し、南出口(城塚)古墳=前方部はやや西南方向に向いて築成されています。

南出口(城塚)古墳の後円部=3段築成

後円部から見た南出口(城塚)古墳の前方部と細く締った「くびれ部」

後円部後方から見た南出口(城塚)古墳の前方部の段築がよく分かります。

南出口(城塚)古墳の後円部頂上部

後円部から見た?引け部

後円部下段から見た後円部東頂

南出口(城塚)古墳の後円部三段築成

前方は南屋敷西古墳(前方後円墳)

南出口(城塚)古墳の後円部は三段築成になっていることが、築成後 1500年経ってもよく分かります。

南出口(城塚)古墳の後円部は三段築成と標柱

南出口(城塚)古墳の標柱は風雪により消えかけていました。

後円部と前方部の「くびれ部」が削られて一件切れた様になっています。

「くびれ部」が削られて一件切れた様に見える南出口(城塚)古墳

2.南屋敷西古墳

南屋敷西古墳・・・・右の後円部が削り取られていました。

南屋敷西古墳全体像。左が前方部

南屋敷西古墳案内板









南屋敷西古墳部東前方側から見たくびれ部とえぐり取られた後円部

南屋敷西古墳後円部から見たくびれ部と前方部

南屋敷西古墳後円部から見たくびれ部と前方部

南屋敷西古墳後円部から見た南出口(城塚)古墳

南屋敷西古墳西方の山

南屋敷西古墳後円部の頂上部。一回も中央に足を踏み入れたことはありません。
古墳の上に登らせていただいても、前方部も後円部も、縁をグルッと廻らせていただくだけにしております。


南屋敷西古墳唐少し南西の池田山が望めます。

南屋敷西古墳後円部の南東端から真南の城塚古墳と用水路。

南屋敷西古墳の後円部西端から東方の「野集落」の方面。

南屋敷西古墳の後円部西端から南東方の「野集落」の方面。

おそるおそる撮った後円部の中央陥没部。おそらく調査抗の跡。

南屋敷西古墳の後円部東端から東南方の「南屋敷西古墳」の方面。



3.登り塚古墳

登越古墳碑・・・かなり風化していました

登越古墳・野古墳群最大の前方後円墳。全長83m、後円部径52m、後円部高さ7.3m、前方部長42m、前方部高さ5.8m

登越古墳・くびれ部

登越古墳・後円部

登越古墳・後円部から見た前方部段築成

登越古墳・くびれ部から見た後方部頂上部=水平

登越古墳・後方部部から見た前方部・・・くびれ部がしっかり残っています。前方部は真南に向いています。

登越古墳・後方部部から見た前方部・・・くびれ部の段築

登越古墳前方部・くびれ部部から見た後方部・・・手前は環濠跡

登越古墳・前方部から見た前方部頂上部=ほぼ水平赤い木のむ植えてあるのは環濠と思われます。


登越古墳・碑

登越古墳から見たモタレ古墳遠景

登越古墳から見たモタレ古墳


登越古墳から見た七号墳=前方後円墳(後ろは竹藪)
1.野古墳群(第一部・野古墳群南部
      おしまい