(7)長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在
  1.森将軍塚古墳(もりしょうぐんづかこふん)

  埴科古墳群(はにしなこふんぐん)とは、長野県千曲市(旧埴科郡)にある4つの前方後円墳の総称。4基の古墳が一括して国の史跡に指定されている。埴科古墳群の中で最も著名な森将軍塚古墳は、近接する有明山将軍塚古墳と麓にある森将軍塚古墳館長野県立歴史館を合わせて「科野の里歴史公園」として整備されている。森将軍塚古墳は昭和46年(1971)に国の史跡に指定され、有明山将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳は平成19年(20072月6日付けで追加指定された。これら史跡に指定された4基以外にも、周辺には斎場山古墳・坂山古墳・堂平古墳群・笹崎山古墳・北山古墳など数多くの古墳が残されている。

森将軍塚古墳  長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在する本古墳は、長野県で最大となる全長100mに及ぶ前方後円墳である。長野県における前方後円墳としては最初期にあたる古墳時代前期(4世紀末)に造られ、信濃国の前身・科野(しなの)の首長の墳墓と目される。平野部から130140mの高さにある狭隘で急斜面の有明山尾根上にあるため、後円部は楕円のようになり、前方部と後円部では中軸線が20度ばかり違っている。後円部頂の中央に長さ15.0m、幅9.3メートル、深さ2.8mの穴が掘られ、その内部に「墓壙」と呼ばれる二重の石垣で囲まれた長さ7.6メートル、幅2m、高さ2.3mの竪穴式石室(石槨)が築かれている。この石室は日本最大級の大きさを誇っており、森将軍塚古墳館で原寸大の模型が展示されている。副葬品のほとんどは過去の乱掘により散逸していたが、辛うじて残されていた三角縁神獣鏡片は、ヤマト王権との繋がりを示す重要な資料とされ、他にも近畿地方の影響と思われる土器類(円筒埴輪・壺形埴輪・朝顔形埴輪・異形埴輪-家形埴輪か)、刀・剣や切先の尖った槍か剣のようなもの、鉄鏃、細工のための小刀、農業に使う鎌、翡翠で造った高級な勾玉、碧玉の管玉などが検出されている。(身分を示す鏡・玉と武器や生産用具を表すと考えられている剣の三つがそろった珍しい例)また、一部に前方後方墳とする説もあるが、発掘された埴輪の形から古式の前方後円墳と見なされている。周辺からは、13基の円墳5 - 7世紀後半)を始め埴輪棺や組合式石棺などが多数検出されており(他にもあったと考えられるが、後世の採石などで消失)、この周辺は森将軍塚古墳に関係する一族などの代々の墓所(奥都城)と考えられている。 昭和46年(1971)に国の史跡に指定され、昭和56年(1981)から平成4年(1992)までの11年をかけて築造当時の姿に復元された。一般に公開され小学校の教科書にも写真入りで紹介されている
























































































































(7)長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在
  1.森将軍塚古墳
(もりしょうぐんづかこふん)
----------------次は川柳将軍塚古墳に続く-------------