5.羽島市 中部 竹鼻の史跡散歩


(川口-島井-八劒神社-竹鼻別院-専福寺-西岸寺-仏佐吉大仏-聞得寺-浄栄寺-下町稲荷神社-正法寺-川町燈台−昭和橋-円覚寺-逆川橋-本覚寺--光照寺-亀屋・竹鼻の町屋-大西-江吉良)
  2006.03.26---2006.5.11更新

羽島市  中央部 竹鼻町の史跡散歩

(川口-島-八劍神社-別院-専福寺-西岸寺-仏佐吉大仏-聞得寺-浄栄寺-下町稲荷神社-正法寺-川町燈台−昭和橋-円覚寺-逆川橋-本覚寺--光照寺-亀屋・竹鼻の町屋-大西-江吉良 探訪)

1 川口-島の足近川・逆川合流点(羽島用水)
2 八劍神社(やつるぎじんじゃ)---2006.4.27更新
3-1 平成大修復前・竹鼻別院
3-2 平成18年・竹鼻別院・本殿大屋根葺き替え工事後の姿----2006.8.29 掲載
4 専福寺
5 西岸寺
6 仏 佐吉・大仏---2006.4.27更新
7 聞得寺
8 浄栄寺
9 下町稲荷神社
10 本町 町筋
11 正法寺
12 川町燈台
13 昭和橋
14 円覚寺
15 栄町・逆川橋
16 本覚寺
17 光照寺
18 亀屋・竹鼻の町屋
19 竹ケ鼻城 太閤・水攻めの一夜堤
20 竹鼻・大西-本郷街道
21 江吉良・野々宮神社
22 江吉良・大正時代の「桑名街道」と「名古屋道」界隈
23 江吉良・堤・水除神社と芭蕉の句碑
24 江吉良・川並六坊・福安寺
25 江吉良・神宮神社(じんぐうじんじゃ)---2006.5.11更新

川口-島の足近川・逆川合流点(羽島用水)



(左)足近川・(右)逆川合流点




(左)足近川・(右)逆川合流点

(右)足近川の水・・・黒っぽいのは澄んだ水のため(右)逆川・・黄白濁の水







八劍神社(やつるぎ神社)

八劍神社(やつるぎじんじゃ)
八劍神社は、不破源六廣綱が竹鼻城に在城の天正年間(1573〜1584)の天正九年、
当時竹鼻町の西端(字須賀)内元宮を竹鼻城の鬼門の守りとしての氏神として遷
祀した伝記を持っている。日本武尊を祭神としている。

『八劍神社の宝物展』2002.4.13〜7.14 




八劍神社参道

八劍神社 拝殿



八劍神社 拝殿絵天井(拝殿の絵天井(新)
平成4年に新しく本絵を見本に、羽島市の絵画の会の方々によって画かれた絵に、取り替えられた
)









八劍神社(やつるぎじんじゃ)境内の歌碑










竹鼻別院
真 宗 大谷派  竹鼻別 院 501−62羽島市竹鼻町2802
竹鼻別院
竹鼻別院は、宗祖親鴛聖人が上洛の際、三河川で尾張葉栗郡門間庄の
河野四郎道勝等八人が、教を聞き帰依し草庵を立てたのが起源といわ
れている。
 その後、蓮卸上人の下向された際、草庵を再興され、「河野御坊」 と名付けられ、さらに「専福寺」と改称された。教如上人の時に、 本願寺は、東西に分派し東本願寺派に属す。また御坊に取り立てら れ、五十四か寺が附与された。
 現在地に本堂が建てられたのは、一八二二年。三十九村の人々が、 懇志と労力を結果し五十年の歳月をかけて、十四間余の大伽藍を落 成させた。また大門・経堂と続いて建立された。これら、先祖の皆 さんが親鴛聖人に対する思いの深さ、聖人にお遇いし、人と人との 豊かな関わりを生きる真実の教え・浄土真宗に命をかけておられた 精神が脈々と伝わってくると伴に御同朋の心魂の結晶である。
これが、一九八二年(明治二十四年)濃尾大震災により崩壊するや 南北ハ間・東四十八間の仮御堂をたて聖人以来の法灯を絶やさず、 一丸二二年(大正十二年)には、現在の十一間四面の本堂・総けや きづくりの伽藍を再建。また山門も、三年後の一九二八年再建され た。誠に御間朋という力に驚き、心より尊敬せずにはおられない。
棟梁は、東本願寺すなわち本山を再建された伊藤平左衛門氏。また 内陣の造作・彫刻・荘厳に至るまで、日本建築の素晴らしさが結集 された御堂・開法道場といっても過言でない。
 山門に鐘楼は近く修復され、往年の素晴らしさを取り戻し他に誇 れるもの。今年本山の発行する「真宗」にも紹介されている。本堂 も他に誇れる建物ではあるが、雨漏り賀あったため、平成の大改修 をお粉手いるため、平成18年3月25日現在は、大屋根の吹き替え 工事中である。
別院苑内の岐阜県指定天然記念物、樹齢300年の『藤の花』の咲 く頃までには屋根工事を終わりたい・・と関係者が日々努力中です。



竹鼻別院の山門

山門の説明板



大屋根の吹き替え工事中の模様(2006.3.25)

竹鼻城の「お城地蔵」
戦前、竹鼻町に「竹ケ鼻城再建」が盛り上がり、基金の積み立てを始め
一部着工の運びとなったが、戦時下の情勢が悪化して、工事は中止とな
ったため、戦後、昭和25年5月 城垣用の石材を用いて、大垣の石匠
藤井康司氏に依頼してこの地蔵尊が造られ、竹ケ鼻城の戦没者の慰霊
を弔った。

 嗚呼慶長之役竹ケ鼻城為戦没清霊追善提

高さ・5m余

武藤春樹書になる「別院建立」の趣意書の碑



武藤春樹書


専福寺

真 宗 大谷派  専 福 寺 501−62羽島市竹鼻町280










西岸寺
真 宗 大谷派  西 岸 寺 501−82羽島市竹鼻町2811−1 












左より、大屋根吹き替え工事中の別院。中央・専福寺。右・西岸寺---三ケ寺が一望(羽島市役所駅東より)

仏 佐吉・大仏

仏佐吉永田佐吉

元禄14年(1701)〜寛政元年(1789)  

 号、覚翁、実道。現・羽島市竹鼻町上鍵屋町に生まれる。貧農の家に生まれ、幼く
して両親を失う。10歳で名古屋の紙問屋に奉公に出る。精一杯奉公に励み、暇をみ
つけては経書に親しむ。帰郷後、綿の仲買を始め、財を築き、石橋や道標、佐吉仏を
築いた。人のために尽くす多くの逸話から「仏佐吉」と呼ばれた。心学の実践者。篤志家。


 元禄14年(1701)に竹ヶ鼻村(現在の羽島市竹鼻町)で生まれた永田佐吉は、
名古屋の紙問屋での丁稚奉公から帰郷した後、餅店・綿店を営み家計を助ける
一方、道行く人のために道標や石橋の建設し、また大仏の建立を行なった。
その孝行・慈悲の深さから「仏佐吉」と称されている。墓所は竹鼻町の本覚寺

仏佐吉翁ニ関スル写真 [出版年不明]

佐吉顕彰碑と竹鼻小学校の佐吉像と和歌の碑があります。

佐吉直筆の和歌もあります。
美濃竹鼻・仏佐吉の本の紹介1997.4.1発行


大仏が祭られている「佐吉堂」に隣接する大仏児童公園


大仏が祭られている「佐吉堂」裏側


大仏が祭られている「佐吉堂」正面入り口


「佐吉大佛」 全高は4.9m 周囲は8.3m

 「佐吉大佛」 全高は4.9m 周囲は8.3m かなり大きい


「佐吉大佛」背面


「佐吉大佛」お顔


永田佐吉建立の石地蔵

総村扣(そうむらひかえ)の燈籠

 総村扣(そうむらひかえ) 佐吉が寄進したのではなく、 村で作った燈籠・・と言う意味
総村扣・・・の文字






道標と石橋


永田佐吉翁顕彰碑---大仏が祭られている「佐吉堂」に隣接する大仏児童公園の北の奥
にひっそり立っています。

永田佐吉翁顕彰碑---実測していませんが、高さ 6m ほどの粘板岩
碑文の書は江戸〜明治期の能筆家・大島徳太郎 号・君川  楷書では当時の第一人者。
書の好きな人には、一見の価値あります。

永田佐吉翁顕彰碑の頂上部
「・・・継母常に私欲を捨て・・・」見事な楷書文字

碑文は文学博士・南條文雄 撰
南條文雄(1849〜1927)
 幕末〜昭和初期の真宗大谷派学僧、仏教学者、岐阜の人、
号・硯果、明治9 年東本願寺留学生として渡英し、サン
スクリット仏典を研究、真宗大谷大学 学長・大谷派講師
を務めた。昭和2年歿 78才。
碑文の書は明治時代〜昭和初期の能筆家・大島徳太郎 
号・君川 楷書では当代、第一人者であった。
名徳太郎、君川と号し、壮年より愛知県庁に出仕し、専ら
翰墨の事に当つた。早くより恒川宕谷に師事し、退官後は
書を以て立ち、多くの門人を養成して書壇の重鎮となつた

没年・昭和十八年二月十七日(1943年) 
墓碑銘は「観徳院君川慈薫日蓼」。

碑は大正6年11月に竹鼻町教育委員会建之
碑文を彫ったのは、桑名 根来市蔵 刻 と裏面に在ります。
碑文刻の第一人者。愛知・岐阜・三重に刻文の足跡多し。

仏佐吉翁碑銘

永田佐吉翁顕彰碑---実測していませんが、高さ 6m ほどの粘板岩
聞得寺
聞 得 寺   真宗 大谷派  501−62羽島市竹鼻町2994
竹鼻の繁華街に点在する寺院。そのたたずまいには、昔のおもかげ
をしのぶことができます。銅板ぶきの美しい鐘楼門は山門の役目も
果たしています。













浄栄寺

羽栗郡竹ヶ鼻町
真宗東派川並六坊上山浄栄寺

浄 栄 寺  真 宗 大谷派 501−62羽島市竹鼻町2959

市文化財の釣り鐘は明治の神仏分離の際、名古屋の東照宮から譲られたものです。












本町の町筋


下町稲荷神社

竹鼻下町 稲荷神社
古来から日本では、山や森、樹木に神さまが宿るとされ、御神木(ごしんぼく)
としてお祀りされている例があります。 これと同様に、動物にも神さまとの関
わりを認めてきました。 動物に対する信仰は、やがて特定の動物を特定の神さ
まの、その神意を伝える使い(使者)とする信仰へと展開していきました。 
これらの動物の代表ともいえるのが、お稲荷さんの狐です。 稲荷神社の御祭神
は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(倉稲魂神)で、「宇迦」とは食(うけ)
の意味であり、食糧をつかさどり、稲の成育を守る神さまです。 狐が稲荷神社
の使いとされた理由としては、御祭神の別名である御饌津神(みけつかみ)の
その文字に、狐(ケツネ=キツネの古語)を使い三狐神(みけつかみ)と記し
たことによるといわれていますが、これについては諸説があります。 いずれ
にしても狐という動物は、私たちの先祖が、その生活の中で接することの多か
った親しい動物でもあり、おのずと稲荷神社の「使い」としての信仰が定まっ
たのでしょう。 狐=お稲荷さんということではありません。
伏見稲荷大社の起源については「山城国風土記」の逸文に《秦中家ノ忌寸等の
遠祖伊呂具秦公の的にして射た餅が白鳥と化して飛び翔けり、その留まった山
の峰に『稲』が生じた奇瑞によって、イナリという社名になった》とあり、ま
た「神祇官勘文」や「年中行事秘抄」などに引く「稲荷社禰宜祝等申状」には
《この神は、和銅年中、初めて、伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、秦氏人
等が禰宜祝として春秋の祭に仕えた》とある。



正法寺
正 法 寺 浄土宗西山禅林寺派 501−62羽島市竹鼻町2707−1 
乳乞信仰で知られる観音像と乳垂れ銀杏、庭園の中心に「臥龍の松」
があります。
一本の松から見事にのびた枝で龍をかたどっています。芭蕉の句碑も
立っていていにしえの昔をしのばせます。









松尾芭蕉の句碑
  をりをりに 伊吹を見てや 冬ごもり 
元禄四年(1691)江戸の旅からの帰途、大垣の岡田千川亭で詠んだ句。
この句碑は明治23年(1890)地元の美濃派の有志によって立てられた
者で、高さ約1mの自然石。



松尾芭蕉の句碑の裏面

乳乞信仰に結びついた乳垂れ銀杏-1


乳乞信仰に結びついた乳垂れ銀杏-2

乳乞信仰に結びついた乳垂れ銀杏-3


川町燈台


逆川が竹鼻町の船運送で栄えていた時の川湊の川町燈台


川湊の方から見た川町燈台

川町燈台の方から見た湊側


昭和橋


モダーンな造りの昭和橋・・・今ではすぐ隣に架かる「平成橋」に主役を奪われ
地域住民の生活道路になっている。


昭和橋から見た逆川上流(橋は川町燈台の下の川町橋)



円覚寺

浄土真宗本願寺派

阿弥陀如来立像 木造 県指定 藤原時代 羽島市竹鼻町狐穴












栄町・逆川橋


栄町筋に架かる「逆川橋」


「逆川橋」から下流の逆川に架かる名鉄・竹鼻線の橋


本覚寺

本覚寺
絵天井 県重要文化財
竹鼻城主歴代の菩提寺。本堂に描かれている丹精の美を極めた絵天井
「雲龍」は、浮田一惠斉が追われる身で約1年間隠棲し、描き上げた
ものです。永田佐吉の墓所。
















永田佐吉の墓

永田佐吉の墓の側面 寛政元年酉年


光照寺

光 照 寺 
 市文化財
檜一本造りの十一面観音像は、室町時代の作で、市文化財に指定
されています。徳本上人の念佛塔もあります。







徳本上人の念佛塔













亀屋・竹鼻の町屋


竹鼻・上町の 元・味噌溜まり屋・亀屋の格子造り

亀屋の味噌蔵(個人宅のため見学はご遠慮下さい)

竹ケ鼻城 太閤・水攻めの一夜堤


福寿町間島・角に神孫(かんまご)酒店の東側の道が一夜堤の現在確認できる北の端。



一夜堤の道(南に伸びている)

一夜堤の跡に造られたと思われる用水路(北に伸びている)

一夜堤の道(南に伸びている)

松山の斎場を右前方に望む位置の一夜堤の道(南に伸びている)
 
竹鼻町錦町・蓮池地区の一夜堤跡の道標













27 竹鼻・大西-本郷街道








28 江吉良・野々宮神社




 



 







 































29 江吉良・大正時代の「桑名街道」と「名古屋道」界隈


  

   


30 江吉良・堤・水除神社と芭蕉の句碑


























31 江吉良・川並六坊・福安寺

















32.江吉良町-神宮神社

 神宮神社は江吉良町の南の端、県立看護大学の西にある桑原川を挟んで西にひっそり佇んで居ます。神社の西側は駐車場があり、羽島インターチェンジの下を走る「羽島田園街道」は、うっかりすると駐車場のトラック群の陰に隠れてしまっていますから、通り過ぎてしまいそうになります。神宮神社社伝の説明版によりますと、かっては広大な敷地を社領として有していた由緒ある神社だったそうです。(説明碑文参照してください)

神宮神社鳥居と入り口(南面)



説明の無い3巨石



東に聳える岐阜看護大学





燈籠の台座

神社境内の松・羽島で一番太くておおきいと思います。





神宮神社の東を流れる桑原川(上流・北方)

神宮神社の下にかかる看護大学に通じる橋。



     おしまい










































羽栗郡竹ヶ鼻町
真宗東派川並六坊上山浄栄寺










総村扣(そうむらひかえ)の燈籠
 総村扣(そうむらひかえ) 佐吉が寄進したのではなく、村で作った燈籠・・と言う意味。


道標と石橋

佐吉顕彰碑と竹鼻小学校の佐吉像と和歌の碑


本覚寺の永田佐吉の墓と道標(大仏前)


佐吉直筆の和歌