(2)埼玉県・さきたま古墳群公園
3.稲荷山古墳
(いなりやまこふん)
(獲加多支鹵(わかたける)大王首(おびと)乎獲居臣(おわけのしん)金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん))
 埼玉県さきたま史跡の博物館発行の「ガイドブック さきたま」によると稲荷山古墳の名前は、古墳の上に稲荷社があったことから呼ばれているそうで、曽根塚とも田山の名前もあるそうです。国宝の金錯銘鉄剣が出土したことで、教科書にも登場する古墳です。主軸長 120m  後円部:径 62m、高さ 11.7m  前方部:幅 74m、高さ 10.7m(推定)k前方後円墳で、さきたま古墳群で一番古い(5世紀後半から6世紀)古墳だそうです。墳丘は二段に築成されており、葺石が使用された形跡は無いそうです。また、稲荷山古墳は大仙陵古墳と墳形が類似していて、大仙陵古墳を四分の一に縮小すると稲荷山古墳の形に近くなるそうです。
 金錯銘鉄剣は、昭和43年に稲荷山古墳より発掘され、鉄剣の保存処理の際に表に57字、裏に58字の合計115字の金象眼の銘文が発見されました。それまで卑弥呼の魏志倭人伝以外、古墳時代には文字資料のほとんどない「空白の5世紀」に一条の光を投じる画期的な意義を持つものとされています。金錯銘鉄剣を作らせた、ヲワケは東国出身の小首長であり、ワカタケル大王(雄略天皇)の宮廷に親衛隊長として仕え、死後に埼玉古墳群中では最初の前方後円墳である稲荷山古墳に葬られた人物とみることができますが、諸説があって真相は不明だそうです。でも、金象眼の漢字の銘文が出てきたことに感動を覚えずには居られません。
































3.稲荷山古墳(いなりやまこふん)
       
    おしまい