2024.02.18 岐阜羽島不二文化センター
   雅楽松風会第五回定期演奏会
    
「青海波一具」
                    せいがいはいちぐ   
明治天皇の御代より138年振りに楽人26名と垣代楽人40名、66名で再現~

 今年はお正月からNHK大河ドラマ「光る君へ」が放映されています。紫式部が書いた世界最古の女性文学「源氏物語」の「夕顔」の「紅葉の賀」(もみじのが)の巻で描かれる、光源氏と頭中将の二人で舞う舞楽「青海波」を、1.000年の時を経て、ここ岐阜羽島の地で再現されました。

 奈良時代から連綿と受け継がれている雅楽の家柄で、人間国宝・豊(ぶんの)英秋師と息子さんの靖秋氏のお二人を客演に招かれ、雅楽松風会主宰の松久貴郎氏の熱い思いで開演されました。

 松久氏は舞楽で開演の「振鉾」を舞われ、青海波では、鞨鼓を、千秋楽では太鼓を打たれました。
 氏はまた、今回の企画から上演に至るまで、母校の天理大学の佐藤浩司名誉教授を始め、雅楽部の皆さんの協力を得られ、岐阜近隣の雅楽、舞楽の方々の協力と結束も得られて、64名からなる、90分の「青海波一具」を、明治天皇の御前で上演されてからから138年ぶりに再現されました。

 再現に当って、舞台の諸道具や装束・大太鼓の仮受け等あらゆる企業団体との折衝など、獅子奮迅の働きにより、今回の演奏会が開催されました。

 岐阜羽島の地で平安王朝の豪華絢爛たる舞楽と雅楽を上演して頂いたことへの感謝を込めて、当日撮影した舞台裏の貴重な写真を掲載させていただきました。


  【目次】

(1)開演前舞台の様子
(2)雅楽舞台の様式
  1.左方・登竜 大太鼓と右方・鳳凰 大太鼓
  2.大鉦鼓(左・右)

  3.舞楽台・朱高欄と金の擬宝珠・緑地敷
  4.楽団席(前列・打楽器=鞨鼓・和琴・琵琶)
  5.弓
(3)舞台構成案内
(4)舞台上での記念撮影
(5)松下貴郎氏と楽人
(6)フィナーレ
(7)舞台での後片付け
(8)雅楽「青海波」の進行と雅楽・舞楽用語・・・未完

(1)開演前舞台の様子

羽島市不二文化センターの舞台は間口 19.4m、奥行 15.0m、高さ(プロセニアム形式 8.0m 収容人員・1290席


    収容人員・1290席  今回は700~800席か?
 

   舞楽の演奏時には鼓面の直径が2mほど もある大太鼓(だだいこ)が左・右に堂々の設置


 左の和服姿の方=この演奏会のMC・タレントプロデューサーのかたりべ雫さん。観客に向かって「お気軽に舞台に上がって
 目近で大太鼓を見学してください。撮影もOKです」とアナウンス。
 舞台画面は主催者・松久氏の人間国宝・豊(ぶんの)英秋師へのインタビューが上映されました。
 
 
   雅楽の舞台の後ろの幕は「楽所幕」(がくそまく)、朱の欄干と金の擬宝珠。後の台は前列が打楽器、後が管楽器。


  今回の岐阜羽島で行われた雅楽「青海波一具」はDVDとして、5.500円で松風会から販売されます。


(2)雅楽舞台の様式
  1.左方・登竜 大太鼓と右方・鳳凰 大太鼓

   左方の大太鼓(だだいこ)は極彩色の二重の雲形の彫刻で飾られ、左右に登り龍の彫刻が施されていました。
    てっぺんには金色に輝く太陽がかざられ、太鼓の皮は漆塗りの左三つ巴=藤原氏の家紋でした。
      大太鼓の左は「大鉦鼓」で登り龍が左右に彫刻されていました。


  大太鼓の大きさを実感するために私が前に立ちました。高さは確認していませんが約4m程です。


  右方の大太鼓(だだいこ)は極彩色の二重の雲形の彫刻で飾られ、左右に鳳凰の彫刻が施されて
 いました。
太鼓部分は右二つ巴で、てっぺんは月の光を表し、大太鼓の右は「大鉦鼓」で鳳凰が左右
 に彫刻されていました。


 
                左・右の大太鼓の比較


   大太鼓の左は「大鉦鼓」で登り龍が左右に彫刻されていました。立って演奏します。


  右の大太鼓の右は「大鉦鼓」で鳳凰が左右に彫刻されていました。


 一見、「火炎太鼓」に見えますが、太鼓の周囲は極彩色の雲形の立体彫りでした。
 此の雲形が、日本の絵画・彫刻の原点と思われます。


  一見、見にくいいですが、大太鼓は「締め太鼓」のため、締め棒で紐を締めて音を調整します。
   原理は鼓や太鼓の締めと同じです。


 大太鼓の後に太鼓の撥(ばち=二本の撥(太鼓の撥のみ他の打楽器の桴と区別されます))が
 置いてありました。


 右の大太鼓の左脇に左大将と行列の花形随身(貴族の護衛隊)の手弓が置かれていました。


  右の大太鼓の左脇に左大将と行列の花形随身(貴族の護衛隊)の手弓



  舞台の中央に置かれた朱の欄干と金色に輝く擬宝珠


    欄干の内側には牡丹唐草の地敷(地布) 四間(7.2m)四方
  

  地敷は基本的に緑色の牡丹唐草紋・・・いかにもシルクロートを辿ってきた布地を想起させます。


  雅楽で一番大切な「拍子」をリードする「鞨鼓=かっこ」


      通常、鉦鼓は座って打ち、大鉦鼓は立って打ちます。此の大鉦鼓は立って打ちます。


            大太鼓の裏側 鼓面漆塗りで、打擦りがありました。


    大太鼓の裏側・・・まるで蛍光色を発しているように神々しく見えました。

(3)舞台構成案内


  舞台は間口 19.4m、奥行 15.0m、高さ(プロセニアム形式 8.0m 収容人数・1290席の大ホールです。
 なお、ホールの音響効果も抜群で、音響と照明は羽島のその道のプロの方がメインテナンスをしておられます。


    招待客席から見た雅楽の舞台。設定に寸分のスキもありませんでした。素晴らしい舞台設定でした。


    舞台の始まる前の個人的な舞楽のシュミレーションをされる舞人の方々。


  雅楽は現在では大ホールで上演されます。それまでは神社の舞楽殿や玉砂利の上の舞台で舞われていました。


 舞楽台の後は雅楽の台。今回は雅楽人が26名。いまだかって無い大人数のの楽人に垣代(かいしろ)40名が参加。


「垣代」、特に「青海波(せいがいは)」の舞のとき、舞台の南側に円陣を作り、笛を吹いたり、拍子をとったりする人たち。
近衛府(このえふ)の官人や院の北面(ほくめん)の武士などが用いられたと言います。天理大の学生や近隣の雅楽士
が、多数参加されて、138年振りに「青海波一具」が再現されました。此の規模での上演は本邦初公開だと思います。


  鞨鼓・・・・奈良朝に中国から渡来した打楽器。長さ約三〇センチメートル、径約一五センチメートル
の木製の筒の両端に、鉄輪に張った革を当て、馬革の調(しらべ)の緒で締めた鼓。
革面の径約二三センチメートル。


 雅楽(ががく)に用いられる琵琶を、「楽琵琶」と言い、4弦の絃楽器(弾物)で、主に主旋律の最強拍を強調
 する拍子としての役割を持ちます。薩摩琵琶とか筑前琵琶や平家琵琶とは違う、正倉院に宝物として搬入
 された螺鈿の琵琶の系統で、メロディーを弾ずる楽器ではなく、拍子を弾ずる打楽器の役割をします。

(4)舞台上での記念撮影

 松井 聡羽島市長と松久貴郎氏。市長は小学生を無料で二階席に招待されました。


  雅楽のお好きな市長さんが、長大な「青海波一具」上演を企画された松下氏に敬意を評されて、深々と
 お辞儀をされ、戸惑われながら直立てお受けされる松久貴郎氏。


  前羽島市議会議長の南谷佳寛氏


 羽島の未来を築く会の松野幸治氏。


  不破 洋とMCのかたりべ雫さんと記念撮影。
  雫さんの当意即妙で知性溢れる機転の利いたお話は、少し開演が遅れた間にも
 源氏物語の「紅葉の賀」(もみじのが)の巻で描かれる、「光源氏」が「頭中将」
と2人で「青海波」を舞
った絢爛豪華な王朝絵巻を紐解きながらお話になりました。
 観客は開演時間の遅れも気にならずお話に聞き入り、その知識の抱負さに感嘆しきりでした。

(5)松下貴郎氏と和太鼓設置の職人と楽人

 大太鼓(だだいこ)の説明に熱の入る松下氏。それにしても王朝絵巻の袍(ほう=指貫袴腰帯)は
豪華絢爛 で鮮やかです。甲(かぶと)も演目によって数多くあるようですが、聴けませんでした。
舞人が履く靴にも夫々の役柄で違いがありますが、白い靴の名前を聞くのを忘れました。


  舞台に上がった観客に大太鼓の説明をする「太鼓・神輿の宮本」の職人さん。
  目近で雅楽器の説明を受けれる機会を与えていただいてとっても良かったです。


   若い人たちには見るのも聞くのも珍しい雅楽の「しつらえ」ですから興味津々。


      丁寧なご説明有難うございました。    


    大鉦鼓を立って打つ楽人。

(6)フィナーレ

  26名の楽人で演奏され、舞楽を舞った方々と垣代40名・総勢66名の一大イベントが終わりました。
 目にも鮮やかな衣装=襲装束(かさねしょうぞく)は(鳥甲・赤大口・指貫・下襲・半臂・忘緒・袍・帯・糸鞋・踏懸)に太刀を 加え
鳥甲の形も袍・下襲 などの色と文様も、すべてが「青海波」専用の特別なものなのだそうです。拍手が自然に沸き起こり、
何時までも鳴りやみませんでした。


  フィナーレ・左端


    フィナーレ・中央


  フィナーレ・右端


   フィナーレ・会を代表して松久貴郎氏が閉会のあいさつをされました。開場からは万雷の拍手が何時までも続きました。
  日本人は感情表現が下手で、ブラボーもスタンディングオベーションもありませんでしたが、演技者のやりおおせた充足
感と高揚感は観客にも伝わり拍手が自然に沸き起こり、何時までも鳴りやみませんでした。


         素晴らしい舞台でした。


    フィナーレ・会を代表して松久貴郎氏が閉会のあいさつをされました。





     2024.02.18 岐阜羽島不二文化センター
    雅楽松風会第五回定期演奏会 
     
 「青海波一具」・・・    

(7)舞台での後片付け

グランドフィナーレの後、観客退場してから、一斉にの後片付けに入られました。


  舞台の後片付けを取材させていただきました。


 まず、収納箱が出され、各人の任務が割り当てられているのか、収納順序があるのか分かりませんが
 一斉に収納作業に取り掛かられました。


  大太鼓=4mmもあるので、脚立も大きいです。


  脚立の絵上での取り外し作業


  まず、左側の火炎の部分が取り外されました。


  大きささもさることながら、木製の彫刻された火炎の部分は重いのか、数人がかり
  で外し分解収納されました。


  大太鼓の右側の火炎の飾りは5人で取り外されました。


  収納箱に「龍」とあるのは、火炎に龍り彫りのもがあった大太鼓の収納箱。


  火炎の部分は左・右に分割して収納されました。


   龍も分割して収納。


こちらは、中央の舞台の取り外し作業。牡丹唐草の敷布はいたと釘で止められていました。


  敷布の取り外し。後では、欄干の取り外し。


  敷布の上では舞人が何人も舞いますから、シッカリと止め板に釘止め
  されているのが分ります。


最後に締め太鼓の「大太鼓」と台座が収納されました。
雅楽は海外公演もあるので、分解収納が必然ですが、収納順序があり、経験を積んだ
ベテランの裏方は「縁の下の力持ち」で、職能が分離されていることが分かりました。








R6.01.24-源氏物語を描いた雅楽「青海波一具」

 123日お昼に 市会議員南谷佳寛氏より電話あり、雅楽の松久貴郎氏が、面会したいと言う依頼がありました。

 松下氏=平成24年に不破医院のお正月演奏会に「雅楽演奏と舞楽=浦安の舞と雅楽・納曽利のそり」を舞って頂きました。そのご縁で訪ねて来られました。

https://fuwaiin.com/kenendou/hougaku/24.01.02-osyougatu-ensoukai-seisiga/osyougatu.html

 松下さんは、現在400名の観客をは確保したそうです。羽島市長面会で、

市長は竹小の生徒に大ホールの2階席を開放し、他の小学校にも開放すると約束したそうです。

 雅楽は60人態勢で、大規模な演奏です。客演は 人間国宝・豊(ぶんの)英秋師で、相手は御子息の宮内庁職楽部所属で、豊家45(平城京時代から連綿と続く雅楽家系)の方です。青海波一具は60分の長編の舞楽ですが、「青海波(せいがいは)」とは舞楽(=雅楽)の中で最も華麗優雅な名曲、二人舞の「青海波」の時に用いる下襲(したがさね)にこの模様が付けられていたことから名付けられたと言われています。

 私は一度、10年前に西尾市で豊(ぶんの)英秋師の雅楽を見聞しています。一般の、どの方にも、雅楽が身近なものではありません。しかし、邦楽の歴史の上では、中国・朝鮮半島から伝わった、伎楽→雅楽が日本の芸能の根本で、鎌倉→室町→桃山と時代の変遷に従い、日本独自の発展をとげ、歌舞音曲・邦楽・歌舞伎・浄瑠璃などに発展して来ています。

 人間国宝を岐阜羽島に呼ばれたのは、松久貴郎氏の『雅楽を絶やしては駄目だ!!』と言う、情熱からだそうです。私の小さな「伝統芸能を絶やさないために」とは桁が違いますが、同じ情熱を感じて、是非応援したいと思いました。 又、人間国宝・豊(ぶんの)英秋師が松久さんの公演開催のお願いに応じられたのは、松下さんの情熱に他なりません。

 松下さんは昨年100人の雅楽集団で 青海波一具 の公演を企画しましたがコロナ禍で実現しなかった経緯があり、今年は何としても・・・と再起を図ったのは、NHK―の大河ドラマ・「光る君へ」の放送が1月からはじまり、源氏物語の中の「夕顔」の帖で描かれた光源氏と頭中将が舞った「青海波一具」を、舞台の広さと音響設備と観客席の近さと新幹線・岐阜羽島駅に近い羽島の文化センターを開場に選ばれたそうです。


(8)雅楽「青海波」の進行と雅楽・舞楽用語